天職一芸(プロフィール)
詩と絵でつづる天職一芸(毎日新聞 2006 2月28日付け)
【施術者「羽生道治」の簡単な半生】
毎日新聞「詩と絵でつづる天職一芸」で掲載されたものを参考としてそのまま紹介させていただきます。
以下は、その毎日新聞の「詩と絵でつづる天職一芸」をそのままこぴーしたものです。
詩と絵でつづる天職一芸
第二の視力 指先に全神経を注ぎ
「家にこられる患者さんは、みんなハンサムな方や美人さんばっかりと、自分でそう思い込んでます。 『ああ、吉永小百合さんだ、高倉健さんだ』ってな調子で」。
岐阜県安八町の羽生鍼灸治療院、鍼灸師の羽生道治さん(56)は、サングラスの奥で瞼を閉じたまま笑った。
道治さんは昭和25(1950)年、長野県高森町で公益質店を営む家に、7人兄弟の末っ子として誕生。
地元高校を出ると、東京の会社で洋食器の営業職に就いた。職場にも慣れ、仕事に脂が乗り始めた2年後。
新卒で入社して来た、一人の女子社員に目が止まった。「たまたま偶然にも、同じ高校の後輩だったんです」
いつしか二人の間に恋が芽生え、将来を誓い合った。
昭和49(1974)年、同郷出身の祥子さん(54)と結婚。
まるで世界中が、二人を中心に回っているような、甘い幸せの絶頂。
しかし新婚ひと月目にして、神は想像を絶する試練を二人に与えた。
「医者から『やがて失明する』と宣告されまして。真っかす先に頭を掠めたのは、妻のこと…
この先どうしようってそればっかり」とは言え、今日の明日で視力を失うような、差し迫った状態ではない
日々衰える視力を、同僚に悟られぬように勤務し、一繧の望みを託すべく、名医探しを続けた。
やがて2人の娘が誕生。刻々と失われ往く視野に、2人の愛娘の姿を刻み込んだ。
「いよいよ見えなくなって来て、会社へも行けません。仕事にならないから…。
でもそんな事言ったら、女房が悲しむ。子供たちもまだ小さいし、会社には隠し通さなきゃあ…
だから山手線で一日中グルグル回ってばかり」。しかし間もなく会社は妻に電話で解雇を告げた。
道治さんは最後の望みを手術に託そうと、愛知県一宮市の名医を頼った。しかし入院待ちの間に 炎症が悪化。
手術は不可能と診断された。「こうなったら、何時までもくよくよしていても始まらん。
手に職を付けるしかない」。昭和54(1979)年岐阜県立盲学校に29歳で入学。
家族を呼び寄せ、貯金と障害者年金を食いつぶしながら国家試験に挑んだ。
2年で按摩・マッサージ・指圧を、3年目に鍼灸の資格を得た。
昭和57(1982)年、現在地ではれて独立開業。「黄帝内経や素問霊枢といった2千年も前の古典の医学書から
人体に巡らされる14の気の道と、360以上に及ぶつぼを学んで」。灸による温熱効果で血流と気の流れで促進する。
昔の灸は、石を温めたものだったそうです」地肌に百章を置く昔ながらの直火から、
地肌と百草の間に6~7ミリの空間を空け刺激を和らげる温灸まで。
患者の症状に合わせ、治癒力を最大限に高め得るつぼを,全神経を一点に注ぎ灸師の指先が探り当てる。
今でも愛娘の顔は、幼き日のままかと問うた。「周りの皆が、中山美穂に似てきたとか教えてくれるけど。
せめて眼が見えた頃までの、女優に例えてくれないとわからないなぁ…」。 失ったが故に得る物。『汚いもんが見えんでいいよ』。
指先と言う第二の視力を得、男は何とも幸せそうに笑った。
文と詩・岡田稔:絵 ・茶畑和也(プロフィールのイラスト他)
春の彼岸の里帰り 祖母の好物手土産に 母はあれこれ世話を焼く
普段叶わぬ親孝行 雪見障子の向うでは 春告げ鳥が歌い鳴く
祖母は座敷に臥したまま ああ極楽 と繰り返す 背中に赤い火を燈し 百草を母が右左 (了)