たかが治療院されど治療院

鍼や灸、指圧マッサージなど、人の手による施術のすばらしさをお知り下さい。
そもそも・治療院・などという何とも大ざっぱな名称は一体いつからあったのだろうか。
私が子供のころは、・もみ療治・とか・あんま・とかの看板は記憶にあっても、
・治療院・とか・マッサージ・とかの名は見かけなかったように思うのである。
それはともかくとして、なぜ私がいまさら・たかが治療院されど治療院・などと
大げさに銘うって、こんなことを述べる気になったのか?
それは、今もって、医師の中には、鍼灸や指圧マッサージなどの施術に対し
相も変わらず否定的な目でみる方々が多いという、その現実を改めて知る事由にぶつかったからだ。
これは、実に残念なことではある。
長い間にわたって、優れた各諸先輩方の手によって
医師が、治癒を断念したいくつかの疾病において、この施術を以て、
多くの患者さんたちの危機を救ってきた、そんな事実があることも、是非知って欲しいものである。
ここに、私の身近に起きた、ひとつの実例がある。
Oさんという、現在は、私の患者さんであるこの方は
30数年前、作業中の落下事故によって、腰臀部を強打し
結果、右足の、血行不全に陥ってしまったことがある。
大病院で治療を受けるも、経過はおもわしくなく、ついには、動かすことはもちろん、
すべての知覚も消失し、まるで血の通わない、マネキン人形の足も同じであったと言う。
ここに至って、病院側が、最後に下した結論は…
「このままだと、足が腐って、命に関わる危険がある。もはや、切断するより方法がない」
と言う残酷なうものであった。
それでも、あきらめきれないOさんは、知人の薦めに従い
ワラをもつかむ思いで、あるマッサージ師の元を訪れた。
それから毎日、奥さんと二人三脚で、通院を開始。
しかし、1ヵ月過ぎても、何の効果も現れてはこない。
「やはり駄目か」 絶望感が、ふたりの胸を支配する。
ところが、治療も2ヶ月目の終わりに入ったころだったと言う。
わずかだが、強く押すと、何かが触れているような感覚を次第に覚えるようになってきたのである。
こうなると、Oサンも希望がわいてきて、気力も充実。
こういうことは、当然、治療効果にも反映してくるものだ。
3ヵ月を過ぎたころには、少しずつ血液が通い始め
あれほど冷たかった右足も、序々に温か味を覚えてきはじめ
治療開始から、半年後には、多少のしびれ感は残るものの
ついには、働けるまでの、回復をみるに至ったのである。
「切断しなければ、命も危ない」そう宣告された足が!である。
Oさんは笑って言う。
「あのまま、病院のいうなりにしていたら、私の足は、付け根からなかったのです。
マッサージ様様ですね」と…
また、私の師匠にあたる、ある治療院の先生は
オートバイの事故で、半身不随になった常連の患者さんの、
「病院のリハビリでは、自分の体は元には戻らない」
との信念にも似た思いから、周囲の反対を押し切って退院し
毎日戸板に乗せられてやってくる。その信頼に応えようと懸命に治療を行い、
2年間かけて、完全回復させた話しをうれしそうに語ってくれたものである。
無論、こうした成功例が、いつもかもあるわけではない。
それでも、あることは、まぎれもない事実なのである。
また、こんなに極端ではないが、私自身の経験においても
長期間、整形外科に通院するも、さほど効果の上がらないいくつかの症において、
数度の施術で治したこともある。
自慢でいうのではない。逆に、症状によっては、病院を薦めることも多いのだ。
つまりは、どんな治療法が適しているかということであり
注射や薬などより、人の手による、治療院的施術の方に
より適応する疾病も少なくないということなのである。
最後に、ある医師は、自身の、心臓病での入院がきっかけとなり
機械や薬に頼る、無味乾燥の現代医学に限度を覚え
人と人との、血の通い合った治療がしたく思うようになり
退院後は、いっかいの町のマッサージ師に身を転じて
多くの人の、心身ともの支えになっているという話しを、
この章のしめくくりとして付け加えておきたい。

2004年